散文とロマンティック

旧映画生活の備忘録

ザ・ウォーク

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なぜ山に登るのか。そこに山があるからだ。
そんな登山家や、冒険家とは似ているようで少し違う、“芸術家”のお話。

なぜ世界一高いワールド・トレード・センターの屋上から屋上へ、綱渡りするのか。
観客をまっすぐに見つめ、鋭い語気でジョセフ・ゴードン=レヴィットが伝える武勇伝に耳を傾ける。
他人にとっては、はた迷惑な話で、さらに言えば法に触れる悪巧み。
しかし、いつしか目は釘付けとなり、前のめりとなって彼の勇姿に震えている。手に汗握り、心拍数は急上昇する。

体感型の3D映像がそうさせるのだろうか。3Dの追及により導き出された答えが、原初的映画表現への回帰であるのが面白い。
というのは2Dで見ながらの想像に過ぎないのだが、2Dでもそのシンプルに効果的な運動表現を感じられるのだ。
それでも、やはりそれはドラマを補強するギミックに過ぎない。

なぜ、人は無意味な挑戦に命を懸けるのか。
それは、それが美しいことだから。

“道化”のパフォーマンスは聴衆との共犯関係によって成立する。無謀な挑戦は自己完結し得ない。
まず最初に仲間が必要なのは、作戦の遂行に不可欠である以上に、第一に証人としてだ。
出来ることが増える度に子どもは親に見せたがるように、男の子の勇姿は女の子に見てもらって初めて意味を持つものでもある。初対面はパントマイムで、共通言語を持った良き理解者が計画の意義を保証する。
そして観客の我々が自己投影するのは、その偉業を最前列で目撃する高所“恐怖症”の彼だ。
“恐るべき”高みを目指し、不退転の覚悟で夢を実現させようとする者に夢を託す者たちだ。
一歩一歩が不可能を可能にする人間の証明に、歓喜のガッツポーズは止まず、目を潤ませる。
歴史的偉業は脚光を浴びて初めて成立するのだ。

彼がクーデターと言うならば、テロリズムとも言い換えられるだろうか。誰も死なず、何も崩壊しない芸術テロリズム。しかし人々の心に新たな価値を芽生えさせる。芸術家の所業。
人と人が響き合うことの美しさを志向している。

生と死を分ける“一本の線”は、この世界の虚空を眩く照らす一条の光となった。
「永遠」に語り継ぐべく、再びフィルムに吹き込まれた実話。


☆4.1

(2017/7/03)