散文とロマンティック

旧映画生活の備忘録

ハドソン川の奇跡

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神童の誕生によりにわかに再燃する将棋ブームを眺めては、プロ棋士たちの天才を改めて知る今日この頃。
未知の世界の達人たちの言葉が新鮮に響く。

プロ棋士の一手は、素人には考えられないほど先の先まで読まれた一手であると。よく言われるこれは、間違いではないながらも、当人たちの感覚としては少し異なるようで。
なんでも、もっと瞬発的、直感的なものらしい。
もちろん、その判断の妥当性を確認する作業として、何手も先の盤面を読み通す力は必須であるが、何よりもまずは閃きの力だそうな。

“ひふみん”曰く、将棋と似た性質を持つスポーツを挙げるならばサッカーらしく。なるほど、それならば少し理解が進む。

ほぼ無限にある選択肢からゴールへの最短ルートを瞬時に状況判断する。それぞれのパスコースの先の展開をイメージするまでもなく、“経験”に裏打ちされた無意識下の身体反応が最適解を導き出す。
素人選手でも、所謂ゾーンと呼ばれる状態には時間をスローモーションに感じたり、数秒先の成功のシーンまでがはっきりと“見える”。
一流とはそれをより高次元に、常としてやっている人のことを言うのだろう。

専門知識の研究と、繰り返しのパターン練習による賜物。
頭と身体で習得した公式に従い、即時決断は下し得る。

ハドソン川への不時着水を判断した機長の頭によぎったであろう様々な葛藤。しかし揺るぎない“確信”、裏付ける膨大な経験値が、奇跡を実現可能なものとした。

今作は、そのようなプロフェッショナルの矜持を示す。
しかしその限りの映画ではない。

やがて近い将来、多くのプロフェッショナルは人工知能に取って代わる。
将棋やチェスの世界においては、既に人間は敗北している。
人間かテクノロジーか、優劣の議論は過ぎ、それでも人間でなければならない理由についての哲学的な問いに達する。

そんな現代にイーストウッドが讃えたものは、善良な市民の、人間の良心の“温もり”である。
9.11のトラウマより立ち上がるニューヨークの街と、アメリカ国民への讃歌である。


☆3.6

(2017/7/06)