散文とロマンティック

旧映画生活の備忘録

IT/イット “それ”が見えたら、終わり。

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薄闇にふと、天井の木目調がシミュラクラを浮かべる時、“それ”は突然、姿を現したのだった。

隣で眠る弟を起こさないようおもむろに立ち上がり、まだ明かりのついたリビングへ、両親の元へ急ぐ。まるで平静を保つかのように、しかし内心では感じたことのない胸騒ぎに襲われながら、引き戸に手を掛ける、ゆっくりと。
そして堰を切ったように泣き出す僕を母は抱き寄せ、父は戸惑いながらも優しい微笑みを見せた。

悪い夢でも見たのだろうと母は言ったが、それは違った。でも答えなかった。言葉にするには悲しすぎたから。

僕はただただ静かに泣いた。

5歳くらいか、もう少し大きかったか、年齢こそ定かではないものの、それが初めて“死”の概念を知ってしまった夜の確かな記憶である。おそらくは人生で最も古くて鮮やかな、恐怖という感情の記憶。以来、こびりついて離れない、僕にとっての“それ”そのものである。

それから2、3度ほど、“闇に引きずり込まれる”ような九死をくぐり抜け、それなりに子供らしい少年時代を経て大人になったはずが、その臨場感は年を追うごとに増していく。つかの間の恋の幻が現実を忘れさせることはあっても、決して克服し得ない死の恐怖、つまり“別れ”の悲しみが人生を覆い尽くす。喪失と悔恨と、不安の影がいつも眼前に浮かんでいる。

そんな抗いようのない運命を受け入れることができず、乗り越えることもできない。かと言って、その現実から目を背けて生きられるほど賢くもなれない。うぶを抱えたまま、あの頃に立ち止まろうとする者の人生において──郷愁ほど心地好く恐ろしい感情はないのであった。

IT/イット』それはひと夏の思い出にイニシエーションを辿る『スタンド・バイ・ミー』の変奏に違いなく、(誤訳ついでに言えば)『イット・フォローズ』にも通ずる、“生”への目覚めとその渇望を描いた青春映画に他ならない。そのグロテスクな心象風景が切実さをもって、この胸をまたざわつかせるのだった。


☆3.9