散文とロマンティック

旧映画生活の備忘録

キャント・バイ・ミー・ラブ

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『ブレックファスト・クラブ』にはじまる80年代ジョン・ヒューズ映画の精神、その系譜に連なる隠れた名作を、ビートルズのヒットナンバーと共に記憶する。

恋は、自分を着飾るアクセサリーなんかじゃなくて。ホモソーシャルを強化するための力比べなんかじゃなくて。
会えない時間に募る想いがどうしようもなくて、宙を見上げてはロマンチックを思い描いて、消して、溜め息を繰り返すばかりの──恋する凡人の誰もが恋をうたう「詩人」である──それは目に映る世界の風景を一変させる出会いだったはずだ。

そんな純粋を霞ませてしまう、現代版の身分制度。嫌な言葉で、スクールカーストなんて言う。あっち側とこっち側みたいに、恋も友情も分けられる。暗黙の、それは厳格な序列が学校という社会の縮図にも設けられている。

人はなぜにこうも壁を囲いたがるものか。それでも、それゆえに、人は恋をするものなのか。届かぬ想い、すれ違う若者たちの悲恋こそたしかに美しい──。

だけど、例えば、80年代が終わろうとする頃、デヴィッド・ボウイの名曲と共に記憶された一つの真実はもっと美しい。
「君がイルカのように泳いでこられたら」なんて恋人たちの“夢語り”が、街を、世界を東西に二分したあの壁の崩壊を導いた。銃も戦闘機もそこにはなくて、ただ自由な恋をうたう若者たちの熱狂が、一つの平和をもたらしたのだから。

恋とは本質的に反体制的な狂気である。ならば青春のそれなど、すべからくそうあるべきはずのものなのだ。


☆4.2