映画と呼べるのか否かという疑問に対しては、これは映画でしかなかった。FPSゲームや来たるVR時代が指向するものとは似て非なる、やはり旧来の映像体験に違いはない。
視界の限定がそれを分ける。
しばし、赤の他人のありもしない架空の人生に拘束される。あえて自ら不自由な、ストレスな空間に身を投じたのち、その閉塞感からのカタルシスをもって元の生活へと帰っていく。
この一連に横たわる他者性。虚構と現実の距離感こそが、疑似体験のアトラクションと現実を生きるための映画体験を分ける。
“夢は現実の中で戦ってこそ意味がある”、がゆえに。
☆3.2
(2018/04/29)