散文とロマンティック

旧映画生活の備忘録

未来を花束にして

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"DEEDS NOT WORDS"
言葉より行動を。

過激な武力闘争が正しいとは言わないまでも、聞く耳を持たない相手に一体どんな言葉を用いろと言うのか。体制に一石を投じる“先導者”がいてこそ、平和的解決への道も開けるというもの。大きな波紋が広がって、やっと変革の兆しを見せ始めるのが人の世の常だ。
目には目を。暴力には暴力で抵抗を、しかし少しずつ“理性”に従う知恵もつけて。それが人類の本質であり、多くのものを獲得してきた歴史だ。
権利は勝ち取るものである。

人類の半分は今もなお不平等の地位に置かれる女性であり、さらに人類のほとんどが搾取構造の下部にあたる“歩兵”たちである。
できもしない夢を見るな、理想を語るなと沈黙を強要され、その抑圧を理解する学もなければ、まともな感受性を保てるだけの余裕もない生活に押し込まれ、賢明な政治的主張など持ちえるはずもない名もなき労働者。労働者とは名ばかりの資本主義の奴隷たちと言って違わないのかもしれない。

そんな弱い立場の者たちが町に“カオス”を引き起こすのも当然と言えばそう。いよいよ追い詰められた者たちの最後の手段とも言うべき必死の抵抗。
良識を気取った傍観者たちはそれでも彼らを嘲笑し、非難しているが。

「奴隷であるならば反逆者でありたい」

道は二つに一つ。耳と目を閉じ口を噤んで、未練ある日々をやり過ごすか、さもなくば、いばらの道を進んで現実と闘うか。
それは、それぞれの自由への意志である。

他の誰のためでもない、自分自身の尊厳のために。そして未来の子どもたちのために。
怒れ、義憤の火を燃やせ。

弱者にとっては数だけが力だ。数の力は恐怖である。当局の仰せのまま、お行儀よく行進するデモに意味はない。暴動のリスクのないデモを誰が恐れるか。選択肢にありながら、選ばないのが“理性”なのだ。

偏らないのならば思想ではない。思想なき革命に花が咲くことはないし、きっと思想なき人生は空虚だ。

"Never surrender, never give up the fight."


☆4.3

(2018/12/19)