散文とロマンティック

旧映画生活の備忘録

ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー

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『ローグ・ワン』に続く監督交代劇に見舞われながらも、しかし作品全体に漂うオプティミスティックな空気感は後任のロン・ハワードジョージ・ルーカスの盟友であり、他のクリエイター陣のような“父子”の関係に縛られていないことにその所以があると思われる。

古典的なストーリテリングも、その映画的な運動、エモーションがツイストの効いたクライマックスへと続き、一本の冒険活劇として自立している点において、ディズニー傘下のシリーズとしては異色、むしろ最もスムーズな旧三部作への応答とさえ感じさせる。
数々のオマージュを散りばめながらもファンムービーにはなりえない関係性ゆえ。とてもスターウォーズらしくも、その呪縛からは自由、対等であることこそが良くも悪くも今作の軽さに繋がっているのではないだろうか。

はぐれ者たちの共闘、虐げられし者たちの反乱。王道を辿るアウトロームービーに乗れないわけもなく。然らば、キーラのその後に想いを馳せる。


☆3.7

 

 

スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け

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結局は血筋、つまりは選ばれし者たちの物語に閉じていくなど──『最後のジェダイ』肯定派としては到底受け入れがたい軌道修正の数々。あるいは場当たり的な帳尻合わせに終始するファンムービーへの帰着。
一度は高々と掲げられたはずの旗をまるでへし折るように、愚弄するかのように、私たちの“希望”をもなかったことのようにされてしまった……この無念、屈辱たるや。

前作の賛否両論を無に帰する悪手。冒頭のちゃぶ台返しに、なんならオープニングクロールの一行目から、こんなに興醒めすることがあるのかというくらい。そしてふつふつと沸き上がる怒りと共にダークサイドからシリーズ完結編を傍観せざるを得ない、この筆舌に尽くしがたい悲しみとついには物語の終焉に訪れる虚無よ。


☆2.8

 

IT/イット “それ”が見えたら、終わり。

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薄闇にふと、天井の木目調がシミュラクラを浮かべる時、“それ”は突然、姿を現したのだった。

隣で眠る弟を起こさないようおもむろに立ち上がり、まだ明かりのついたリビングへ、両親の元へ急ぐ。まるで平静を保つかのように、しかし内心では感じたことのない胸騒ぎに襲われながら、引き戸に手を掛ける、ゆっくりと。
そして堰を切ったように泣き出す僕を母は抱き寄せ、父は戸惑いながらも優しい微笑みを見せた。

悪い夢でも見たのだろうと母は言ったが、それは違った。でも答えなかった。言葉にするには悲しすぎたから。

僕はただただ静かに泣いた。

5歳くらいか、もう少し大きかったか、年齢こそ定かではないものの、それが初めて“死”の概念を知ってしまった夜の確かな記憶である。おそらくは人生で最も古くて鮮やかな、恐怖という感情の記憶。以来、こびりついて離れない、僕にとっての“それ”そのものである。

それから2、3度ほど、“闇に引きずり込まれる”ような九死をくぐり抜け、それなりに子供らしい少年時代を経て大人になったはずが、その臨場感は年を追うごとに増していく。つかの間の恋の幻が現実を忘れさせることはあっても、決して克服し得ない死の恐怖、つまり“別れ”の悲しみが人生を覆い尽くす。喪失と悔恨と、不安の影がいつも眼前に浮かんでいる。

そんな抗いようのない運命を受け入れることができず、乗り越えることもできない。かと言って、その現実から目を背けて生きられるほど賢くもなれない。うぶを抱えたまま、あの頃に立ち止まろうとする者の人生において──郷愁ほど心地好く恐ろしい感情はないのであった。

IT/イット』それはひと夏の思い出にイニシエーションを辿る『スタンド・バイ・ミー』の変奏に違いなく、(誤訳ついでに言えば)『イット・フォローズ』にも通ずる、“生”への目覚めとその渇望を描いた青春映画に他ならない。そのグロテスクな心象風景が切実さをもって、この胸をまたざわつかせるのだった。


☆3.9

 

名探偵コナン 時計じかけの摩天楼

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劇場版第1作にして、最も映画然としたシリーズ屈指の名作ではないだろうか。

最初で最後かもしれない映画化への意気込み、「映画」というものへの熱い情熱が全編にみなぎる一大エンターテインメント。そのアクションにせよ、サスペンスにせよ、ロマンスにせよ、出し惜しみなく詰め込まれたアイディア。実に映画的なスケールの興奮が、緊張の糸を張り詰めたまま、あっという間の95分を駆け抜ける。

加えて、大人になって再見することには、連続爆破犯のその犯行動機の味わい深さ。完全主義ゆえ屈折した自己愛による破壊活動──なんて、そんな子供に理解できるはずもない、ある種の美学がシンパシーさえ抱かせる。そして、だからこその、未熟さを忌む者の野望を阻止する若者たちの不完全な愛──というクライマックスの真の美しさに触れ、望外のカタルシスは訪れるのだった。

ちなみに、全24作すべてで違うアレンジの施されたメイン・テーマは、タイトなビートにカッティング・ギターがファンキーな今作のものがやっぱりベストだ。

というわけで、急遽開催!「名探偵コナン メイン・テーマ」ひとり総選挙の結果はこちら。

第1位 時計じかけの摩天楼
第2位 瞳の中の暗殺者
第3位 漆黒の追跡者
第4位 ベイカー街の亡霊
第5位 水平線上の陰謀


☆4.0

ブラック・クランズマン

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スパイク・リー彼自身が、世論を動かすアジテーターとしてのカリスマをすでに纏ってしまっている以上、どんなに立派な映画であっても、まごうことなき正義(Right Thing)がなされていたとしても、むしろだからこそ、まずは一歩引いて疑うことから始めなければならない。

絶対的な正しさに集う万能感からは距離を取らなければならない。
それが反動の時代に我々が学ぶべき姿勢であり、決して冷笑や逆張りではない知性だと信じる。
またその心構えの有無こそが、映画が多様で、個人的なものであり続けるための分水嶺だとも。

啓蒙するまでもない、周知の事実。目覚めるまでもなく眼前に広がる悲劇をことさらに、挑発的に、フィクションと掛け合わせて焼き直すことで得られるものとは一体何か。
映画の功罪を問い正す作品であればなおのこと、その悪魔的な側面を──あるいは自覚的に──利用することにどんな理があると言えるのだろうか。

復讐ならば──それは甘美だ。
よかろうそれが人間の本質ならば、これ以上何も言うことはない。それ以上の正当性など持ちうるはずもない。突き上げた拳の下ろし方なんぞ知る由もない。トランプと同じリングの上で、終わりなき闘争(LOVE & HATE)を続けるまでだ。


☆3.1