「恐怖を体験させる」という狂人の欲望とホラーのそれとが結びつく、当然の帰結。
ある男の殺人衝動から、まるで映画的でない冗長な死体処理までの一部始終にカメラは密着し、哀れな誇大妄想の垂れ流しに晒される。半強制的な一人称への移入に、ひたすら“不快”以外の何ものでもない嫌悪感に嘔吐感を催すも、しばらくしてそれは異様なトランスへと変質し、クラウス・シュルツ(タンジェリン・ドリーム)のミニマルな電子音楽にも導かれて、緊張からの解放にカタルシスを得る劇映画としての快楽に落ちてしまう。
こんな非道なシリアルキラーにも(死体にさえも)例外なく人間の滑稽を見つめるべく達観した視座を持ち合わせるべきか、否か。
☆3.3