散文とロマンティック

旧映画生活の備忘録

ブレードランナー 2049

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愛せずにはいられない。
愛を求めずにはいられない。
愛するためには他人同士、永遠の孤独であらねばならず、他人であればいずれ別れねばならない運命を孕む。
失うことを約束された安らぎを、それでも至上の命題として追い求める人間の性。無情なプログラムの奴隷、人間は永遠の夢を見る。

本物らしい嘘を。
どうせ未来は救えないという諦念が向かう先は、心安らぐ過去の風景。
タルコフスキーもどき、ターナーもどき、ヴァンゲリスもどき、憧憬を切り貼りするこの時代のモダン。天才なき、没個性の時代に“スペシャル”であり得るということ、その宿命はハードボイルド“もどき”な無口な主人公に託されたストーリーとも重なる。

文化も芸術も20世紀の答え合わせに奔走するかのような時代である。虚構は合理性に閉じていく。
無闇に長尺化する映画は、ニヒリズムに反抗する極端なロマンティックの表れではないか。せめて物語を延命させようと、まやかしとも言えよう甘美に耽溺させる。ここにも退廃の美は重なるのである。

沈黙の長き夢よ。
さらにその長きエンドロールがこれほど恍惚の余韻で満たされたことはない。
完璧な“記憶の創造”に酔いしれた。
記憶という名の感情が心に刻まれる。
この163分が私にとってのまさに“奇跡”であり続ける。

我が手に触れずとも、信じるに値すればそれでいい瞬きである。

ブレードランナー』のオリジンは文字通り世界を変えた。しかし変わりようのない根源的な人生の闇に『2049』の魂は宿る。

混沌の夜は明け、雨は雪へと変わっている。あぁ、見果てぬ悲しみの終末はこんな景色であったかと。
生の意味を探す旅が死に場所を決める旅であったなら。そのヒロイズムは悲劇なんだろうか。途方のない虚無に訪れた、唯一の救いではなかったろうか。

天を見上げる男の無表情の表情が語らずして語りうることすべて。


☆4.8

(2018/08/07)