散文とロマンティック

旧映画生活の備忘録

Rip Up the Road

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たった3分の刹那に永遠の夢を見る。その瞬間、人生の全てに触れたような恍惚に包まれ、死んでしまってさえ構わないと思う。幸せすぎて。

そんな音楽の魔法を知ってしまったあの頃に、夢中になって聴き漁ったバンドの一つがFoalsだった。

当時のほとんど真っ白な音楽的感性は、「踊れるロック」を標榜する彼らのサウンドに一瞬で魅了された。ロック史に名を残す数々の名盤と同様に、言語を超越した説得力に呑み込まれた。
ロックンロールはダンスミュージックであることを、すべてのロックンロールは、孤独の深淵からのラブソングであることを盲信するに十分な音楽的嗜好に溺れていった。

あれから10年。音楽ビジネスは転換期を迎え、ロックシーンは明らかな衰退期にある現在もなお、音楽を続ける意味を、バンドであり続けることの価値を、第一線に留まり続けた彼らの現在地に聞くドキュメンタリー・フィルム。
そこには、意外なほど無邪気なまでに、(この)バンドじゃなきゃダメなんだという執着を言外に語り、冗談でも「ロックを守る」なんて言ってしまえる愚かさを失わない、ロックスターの純真が映り込む。

カジュアルファッションに身を包み、リュックサックを背負って、雑踏に紛れるただのロックスター。存在自体が語義矛盾をきたしてしまう2019年現在に、それでもそんな音楽を鳴らし続ける。

FOALS FOREVER」

極東の、“最も未来的で時代遅れの国”より。
ロックンロールの再興を願う者より。
彼らの最新作を待ち続ける。


☆3.6

パワーレンジャー

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特撮スーパー戦隊の仮面を被った、青春学園ムービーか。これまた『ブレックファスト・クラブ』リバイバル群の一つ。

“補習授業”に集められた出会うはずのなかった者たちが、その交流によって偽らざる自分を知り、そして他者を知る成長の過程にかけがえのない友情を深める。
大人になってしまう前に。まだ何者でもない彼らティーンエイジャーにこそ託される希望の物語。

共通するキーワードは、
「なりたい自分になれ」。

多様性の時代らしく、またそれゆえ反動の時代に、異なる個性とその協調を謳う。
個人の苦悩が常に社会のしがらみの中にあるならば、ひいては正義の議論を避けては通れない。
青春映画がヒーロー映画に“変身”する瞬間の高揚感は、単に童心をくすぐるだけのものではなかった。


☆3.7

ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル

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ボードゲームからビデオゲームへ装いを新たに、拡張現実から仮想現実への進化はむべなるかな虚構性を高める『ジュマンジ』最新アップデート版。
現実をファンタジーが侵食する得体の知れない恐怖を幼心に植え付けた20年前の名作より、そのダークな趣はスポイルされ、単純明快なファミリームービーとして蘇る。
さもありなん、時代の要請。歴史的大ヒットも頷ける。

一方で、まさかの感涙を禁じ得ないのは、『ブレックファスト・クラブ』的精神への普遍の眼差し。
誰もが欠けたピースを埋め合う個性を有し、誰しも友情を交わし合える仲間であり得たはず。社会に飲み込まれ、あらゆる階層が友を分断していく現実こそ偽りであると願う物語が現代にも、そして尚更、ファミリームービーにこそ継承された喜びだ。


☆3.9

家族を想うとき

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働けど働けどなお我が暮らし楽にならざり──。

それは現代のお話。どこか遠い国の誰かを他人事のように憂いてばかりもいられるはずはなく、我が事に差し迫って刮目すべき家族の肖像である。

フランチャイズという名の奴隷契約。自己責任という名の思考停止。記号化された悪魔の言葉が当然のように蔓延る現代社会。新自由主義経済のもとに地盤沈下する市民生活、荒んでいく人々の心は闇を一層濃くするばかり。

一貫して労働者階級に寄り添った映画を撮り続け、希望の光を灯し続けたケン・ローチ。しかし、ついに本作においては、一条の光さえも映し得ない。無情にも唐突なエンディングを迎え、映画は暗転してしまうのである。
朝日が眩しくドライバーの横顔を照らしているが、それが前途に輝く未来でないことは誰の目にも明らかである。

「何かが間違っている」
という確信に苛まれながら、それでも泥沼をもがき続けるしかない不条理よ。怒りのやり場さえわからない、もはや悲しみだけが広がっていく。


☆4.0

 

わたしは、ダニエル・ブレイク

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合理化の号令のもとに、人を人とも思わない、非人間的なシステムが世界中を覆い尽くさんとしている。

老境のケン・ローチが引退表明を撤回してまでも作らねばならず、カンヌがパルムドールを与えざるを得なかった。現代のリアリズム。格差の固定化に分断される社会は、イギリス特有の階級社会に限らず、あまねく世界の喫緊の課題として普遍性をもって語られる。

ますます互助の精神は薄れ、空洞化する共同体。セーフティーネットはアリバイ的に存在するばかりで、抜本的に格差を是正する政策など到底、望み得ない。むしろ格差の維持、拡大こそが、為政者並びに1%の富裕層が目的とするところだと思わざるを得ないような政治状況が世界中に蔓延している。

そして、その目論見がほとんど成功してしまっていることに気付く人々はそう多くない。
これが現実、それが現実と、現状追認を繰り返し、自らが搾取構造の下層に押し込められた奴隷状態にあることの理不尽を知る由もない。あるいは認めようとしないのは、惨めな自分の姿に心が折れてしまうからか。気力、体力、もう何もかも奪われた上に、尊厳さえも奪われたことを認めてしまえば、もう生きていけない、がんばれない。

そんな愚直な、勤勉な労働者たちの犠牲の上に、この“豊かな”時代は成り立っている。

巨大で複雑なグローバル資本主義とやらを前に、庶民の反骨心などまったくの無に帰する。


☆3.8