散文とロマンティック

旧映画生活の備忘録

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全編、パソコンの画面上で話を展開させるというワンアイデアに終わらせない巧みなプロットが、サスペンスフルなストーリーに人間ドラマを立ち上がらせる。鮮やかな伏線回収もさることながら、父泣き映画の評判に違わない感動が待っている。

まさかカーソルの動きや、タイピングの速度によって主人公の心情が語られるとは新鮮な喜びであるが、やはり映画は視界を限定するカメラワークによって移入を促すマジックだ。
観客の視点はモニター上の、さらに主人公がフォーカスする視点に同期する。四辺に制限されたフレーム内に、およそ無限にも広がる情報の海から真実を“サーチ”する行為。それはまさに映画を見る行為によって、真理を見出そうとする観客のメタ視点と重なりやしないか。

感情移入とあわせて、革新的かつ映画的な手法によってもたらされる臨場感。極めて現在的な、つまりは十分に批評性を帯びた秀作。
2018年を代表する作品として数えられるに違いない。


☆3.7

アンフレンデッド

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終始、MacのPC画面そのままの動作が擬似的に演出され、視界に捉えるFacebookSkypeのポップアップやチャットの文字を目で追わされるうちに、映画を観ているはずが、まるでPCをいじっているようだとは言わないまでも、Youtubeで適当な動画を眺めている程度の非主体的な、チープな体験へと押し下げられる。

それは、そのような画面にもはや染み付いた俗悪な感触のせいか。半ば自己嫌悪を伴って、SNS延いてはネット文化そのものへの疑念や、疑念を抱いたところで抗えるはずもない下流志向への諦念が反射する。

PCを閉じさえすればいいものを──。その選択肢がすでに奪われ、無抵抗に一人、また一人と“自殺”していく彼らの絶望感は、情報社会に疲弊する現代人、総体としての闇が暗喩されているように思えてならない。


☆2.9

ブラック・ハッカー

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常時、ネットワークに繋がったままのPC画面上でストーリーを進行するとなると、これほど脆弱な媒介はなく、映画における見る見られる関係もあっという間に反転する。

視線は誘導され、情報はいくらでも偽装され、そもそも世界の全ては四角形の枠を出ない。
そこに真実の信憑性など極めて希薄。もしや問われることもない。
複数のウィンドウによって、複数の現実が一つのスクリーンに統合される。その即時的な、簡易で過激な興奮に敵う真実などあろうはずもない。

とは言え、人々が見つめることを放棄するようになったのは何も今に始まったことではない。


☆2.9

眠れる美女

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人は愛によって自由から遠ざかる。愛という自由意志によって、自由を放棄する。その限りにおいては、如何なる悲劇も美をもって語りうる。
語りうる人生への希求、愛の欲求。それは誰もが望まざるも生まれ落ち、“目覚める”運命を受け入れるにあたって、侵されざる人間の尊厳。その裏返しとしての絶望、死に至る病に、零れ落ちる泪の情景もまた。


☆3.6

 

かわいい毒草

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町山智浩のVIDEO SHOP UFO】

月曜日、君と出会い
火曜日、恋に落ちた
水曜日、僕は不実で──
木曜日、人を殺める

仕組まれたボーイミーツガールも儚くは泡と消える。

現実に耐え切れず空想へ逃げ込んだ男の用意した“嘘”で、生身の少女の底知れぬ欲望が満たされるはずはなかったのだ。


☆3.4