終始、MacのPC画面そのままの動作が擬似的に演出され、視界に捉えるFacebookやSkypeのポップアップやチャットの文字を目で追わされるうちに、映画を観ているはずが、まるでPCをいじっているようだとは言わないまでも、Youtubeで適当な動画を眺めている程度の非主体的な、チープな体験へと押し下げられる。
それは、そのような画面にもはや染み付いた俗悪な感触のせいか。半ば自己嫌悪を伴って、SNS延いてはネット文化そのものへの疑念や、疑念を抱いたところで抗えるはずもない下流志向への諦念が反射する。
PCを閉じさえすればいいものを──。その選択肢がすでに奪われ、無抵抗に一人、また一人と“自殺”していく彼らの絶望感は、情報社会に疲弊する現代人、総体としての闇が暗喩されているように思えてならない。
☆2.9