誰かを想う時、誰かの人生に思いを馳せること。それはいつも、その歴史の分岐点、在りし“ラッキーデー”を巡る記憶のタイムスリップ。巡る因果のドラマチック。
今、この現在の君を守り抜くために、過去へと向かうパラドックス。相変わらずのマザーコンプレックス。
1955年11月12日……
繰り返される“正史”の1ページは、彼女の人生のハイライト。ならば彼にとってもかけがえのない思い出に違いない。彼女の、そして“家族”の幸運が、自分のしあわせに直結する。そんな我が主人公像が再び、さらに際立って立ち現れる。
対照的に、おぞましさを増すいじめっ子の成れの果て。トランプ・タワーならぬビフ・タワーのそびえ立つ、荒廃した町の風景が脳裏に焼き付いて離れない。恐怖こそが最も鮮烈なイメージを残すことの証左。そして、そんな世界をディストピアから救うヒーローへの憧憬も、説得力のある敵役に支えられている──善と悪の不可分を幼心に知ってしまうのだった。
同時にそれは、誰かのディストピアは誰かのユートピアであるように、誰かにとってのハッピーエンドは誰かにとってのバッドエンドであるように。誰かのラッキーデーに起こりうる悲劇。見方を変えれば、いつもそれは悪夢。
完ぺきな世界の不可能性に気づいてしまった夜かもしれない。
☆4.3