散文とロマンティック

旧映画生活の備忘録

シン・エヴァンゲリオン劇場版

歪んだ母性へのコンプレックス、果たし得ない“父殺し”を託したフィクション。そして何より「人類補完計画」なる幼稚で独善的な誇大妄想へのシンクロニシティが私にとってのエヴァであり、それら全てに救いを与える大団円には、十年という月日の抑鬱を解放しうるカタルシスがあったのは確か。だが、『破』での慟哭、『Q』での困惑とは隔世の感、極めて健全で理性的なナラティブをどこか他人事のように、あるいは過ぎ去った季節を振り返るかのように平然と眺めるもう一人の自分がいたことも事実。

ハリボテの理論武装は暴かれ、饒舌に捲し立てられる通過儀礼としての物語に誤読、反論の余地はなく、一方でもう語り残すこともなく。これにて全てのカオスは閉じる。まごうことなき“終劇”の二文字が浮かぶ。

ついに終わった。と言うより、すでに終わってしまっていたのかもしれない。感慨とも郷愁ともつかない穏やかな光明が差し込む終着点。それは過去と現在、まさに絶望と希望、虚構と現実が溶け合う新たな世界の出発点ともなりうる。人生は続く、その偉大なる道標を改めてここに刻むものである。

さようなら、全てのエヴァンゲリオン。またあう日まで。


☆4.5