散文とロマンティック

旧映画生活の備忘録

たかが世界の終わり

家族とて他人。他人同士、分かり合うことはないと割り切ろうにも、やはりどうしても諦め切れない親子、兄弟という特別な絆、あるいは呪縛。一人ぼっちよりも独りの孤独に苛まれる。聞いているようで何も聞こえていない会話、ままならない不和の可笑しみをホームコメディで包んでしまうようなユーモアさえ持ちえない、まだ若く柔い悲しみのただ中から見つめる光の幻想は、クローズアップに痛々しく、恥ずかしげもなく、むき出しの愛への切望を叫ぶ。映画を人生の復讐の手段とする限り、若き天才であり続けるドランの自己投影。そんな愛憎劇に美しい愚かさを重ねて耽溺する自らもまた大人になり切れない、なるつもりもなかろう永遠の息子なのである。

R.I.P. Gaspard Ulliel
『かげろう』、『ロング・エンゲージメント』、『THE LAST DAY』と、『パリ、ジュテーム』にも。あの頃、ぼくが好きなフランス映画にいつも君はいた。


☆4.0