散文とロマンティック

旧映画生活の備忘録

AKIRA

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「もう始まっているからね」

いつも、誰しもがすでに始まっている渦中にある。生まれたときから──サルが道具を使うヒトへと進化した頃からか、あるいはその遥か昔、この美しい地球を生み出した宇宙誕生のビッグバンの瞬間からか。カオスとコスモスのせめぎ合いに、すべては創造のための破壊が繰り返される自然の摂理。たとえ神をも超えるテクノロジーを手にした人類であろうと抗いようのない、大いなる“力”に導かれし世界のカタストロフ。

AKIRA』というジャパニメーションの金字塔(日本マンガとバンド・デシネの合流)に構築された無国籍的な近未来像、2019年のネオ東京なる都市とその消滅の光景に──例えば『シン・ゴジラ』によって東京の街が焼き払われたときのような恍惚は訪れない。

「欲望に身を任せたバカどもの掃き溜め」をバイクで暴走する怒れる若者たち。欺瞞に満ちた先行世代への抗争。トラウマ、ルサンチマンを抱えた少年の肥大化する自我。それら、大いに移入可能な負の“エネルギー”が集約され、解放されるクライマックスにもかかわらず。
民族音楽をモチーフとした劇伴を轟かせながら、つまりある種の祝祭を伴ったカルナヴァルの終点にあるべきカタルシスが消失している。

東京オリンピック“中止”の看板に象徴されるように、失われた20年、さらには30年となる経済の停滞にむしろ格差は拡大、分断される社会で荒廃する人心。緻密で圧倒的な画力によって描出された外面的なディストピア像と、混ざり合うグロテスクでドラッギーな内面世界。そんな悪夢の氾濫が瓦礫の山と化し、雲の切れ間に好天をのぞかせる──あるいはそんなハッピーエンドこそが、フィクションと現実を繋ぐ思想的帰結であることを突きつけられ、認めざるを得ないとき。エンドロールに反芻される本作の“核”心は、安易な終末論もスノビズムも拒絶する。

またしても、およそ10年ぶりの再見(IMAX 4Kリマスター版)にして、その作品全体に帯びる暴力的なまでの、咀嚼できないほどのイメージの洪水に溺れたまま。心に深い染みを残したままに劇場を追われ、呆然と、季節外れの炎天下にその白い肌を焦がすのだった。


☆4.2