散文とロマンティック

旧映画生活の備忘録

ポランスキーの 欲望の館

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芸術家が社会的に糾弾された時の、作品と人格は別だという議論にはいつも違和感があって。
芸術と人間性は不可分なのだから、そういう芸術にこそ共鳴してきたのだから、観客の一人として、芸術と共犯関係を結んできたことへの罪悪感を無しにするようなことを言う気にはなれない。

ポランスキーや、またはキム・ギドクなんかの映画には深い感銘を受けたものもある。だけど、明るみになる性暴力の件をもって、大好きな作品とも、これから作られるであろう作品とも距離を置くべきなのだと思うに至った。あくまで個人的な態度の問題。知らなかったり、不確かなことだったりするのならまだしも、確信を得られてしまったことには、どうしたって目を瞑ることはできない。

作品は作品として評価されるべきである。しかしそれは、作家性の発露が作品の中に限定されている場合。
アンモラルな表現が美しいのは、それが虚構にのみ存在が許されるという約束の上に成り立っているから。

絵に描いたリンゴが美しいと言っているのであって、本物のリンゴを食べたいとも、食べていいものだとも言っていない。


☆2.4

(2018/05/05)