散文とロマンティック

旧映画生活の備忘録

ぼくとアールと彼女のさよなら

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映画の中で映画を撮る「ぼく」と、映画を観ている「ぼく」が重なる。

出会った頃のまだ小さい「ぼく」とアールがソファーに座って古い名作映画を観ている光景は、友だちの家に遊びに行っては『Mr.ビーン』の録画を居間で並んで観ていた少年時代とそっくり重なる。
学生時代、どこかのグループに属するのに抵抗したがったのは、孤高のローンウルフなんかじゃなくて。臆病なシマリス、あるいは卑屈にはぐらかす“モデスト・マウス”?
みんなに良い顔するのは、楽しいことより“楽”だったからというのが本音。自信がなくて自分がないから、世の中との関係性の全項目を保留にしてきた。
結果、一番の古なじみがいつまでもたった一人の親友で、でも彼のことは友だちって呼びたくない照れや違和感や負い目が痛いほどわかった。

特段、優れた作品だとは思わない。だけど、どうにも切なくて、愛おしい映画になった。「ぼく」とアールと“死にゆく彼女”が他人事に思えなかった。
新しい“友だち”に出会ったような映画だった。何故かなんて曖昧でいいもの。縁あって、なんだか波長が合って、強いて言うならユーモアや音楽のセンスか、ブライアン・イーノで泣きを撮る感性には共鳴した。

愛する人へ、愛する映画で愛を伝える。彼女はそれを真っすぐな瞳に焼き付ける。
これ以上なく純粋で美しい“クライマックス”が、“色どり豊かな人生”を保証する。

友だちが死にゆくのなら、最期に愛を伝えてあげるのが友だち。でもそんなこと、言葉にしなくても伝わってるのが友だち。
君のためが「ぼく」のためになって、未来が拓かれていく関係。


☆4.4

(2017/7/09)