永遠の文化祭前夜をそのものズバリ、終わりなき終末を注文通りのユートピアとして夢見させてくれる前半部は理想的な映像空間であり、故に、そんな世界が壊されてしまう後半部はいささか心地が悪い。
自分の人生を生きる“責任”への覚悟が問われるからである。
人は、夢・虚構なしに生きてはいけないが、独り善がりな夢・虚構はいずれ悪夢に変わってしまう。
夢・虚構は現実の今日を生きることに立脚してこそ輝き続けるものであり、それは絶対的に他者の存在を認めることと同義なのである。
☆Review
(2016/07/05)