未知なる宇宙の探索は、内宇宙へと闇を映し返す。
惑星ソラリス的パラノイアの軌道をなぞりながら、そこは悪名高きポール・W・S・アンダーソン印の、浅薄なB級アクションホラーが仕立てられる。
ただし、ある種の“闇の美”が詰め込まれた様式美への追求を侮るなかれ。目を覆うばかりの地獄絵図が明滅する。
☆3.3
未知なる宇宙の探索は、内宇宙へと闇を映し返す。
惑星ソラリス的パラノイアの軌道をなぞりながら、そこは悪名高きポール・W・S・アンダーソン印の、浅薄なB級アクションホラーが仕立てられる。
ただし、ある種の“闇の美”が詰め込まれた様式美への追求を侮るなかれ。目を覆うばかりの地獄絵図が明滅する。
☆3.3
木漏れ日の中を赤いワンピースの彼女は少女の面影を残しながら、青白い月明かりの下には確かに小柄な中年女性のシルエットを浮かばせながら。赤子を抱くその後姿に母の背中を見せたかと思えば、暖炉の灯に女の横顔を揺らめかせもする。
光の角度によって、陰とのコントラストによって、映し出される様々な表情に人生の多層性を語りうる、イザベル・ユペールという女優の佇まい。
ゆっくりと、しかし着実に訪れる老いを若さの喪失と嘆くばかりでなく、経験の蓄積、それは人生の豊かさだと認められる視座。
とめどない時の流れ、ままならない日々を、一歩一歩、そしてしなやかに。歩みを止めなかった自分だからこそ辿り着いた今を愛する。誰よりも自分の人生は自分で肯定することのできる逞しさを宿した肉体の美しさ。
カットは矢継ぎ早に、めくるめく流麗なシーンの移り変わり。とりとめのない映画に切り取られたのは生きるということの現実。それはすでに議論の尽くされた、人間は誰も独りであるという真理。生きることは孤独を知ること。独りで死に向かっていくことの悲しみに向き合う、時の変遷である。
悲しみよこんにちは。
されど、この悲しみとて我が人生と──。
涙に暮れる夜もあれば、街の喧騒にふとこぼれ出た笑みの意味は。未来を覆う涙のレンズはおぼろげに、またはきらきらと、彼女にまだ見ぬ世界の風景を知らせる。
途方もない悲しみと共に、未来への希望とて途絶えることはない。歩みを止めない。あるいは歩みを止めなかったすべての女性たちへ、すべての老いる者たちへ贈られる人生賛歌は、安らぎに満ちたエンディングを迎える。
☆4.0
「ヘンリー・フール・トリロジー」第3作。サイモン・グリムからフェイ・グリムへ、そしてネッド・グリムへと受け継がれた“サーガ”、つまりは囚われのエディプス・コンプレックスにけりをつける最終編。
ヘンリー・フールなる悪魔か師か、たんなるペテンか、はたまたテロリストか、謎に包まれた偶像への狂信をすっかり断ち切るような見事な終幕。
第1作『ヘンリー・フール』と対をなすラストカット、“父”を拒絶する息子の眼差し、たった2文字の返答が17年に渡る物語、あるいはまやかしの救済に鮮やかな終止符を打つ。
それは、悲劇を悲劇のまま終わらせることのないハートリーの集大成としてもおそらく相応しい。
☆3.6
ファーストカットよりすでに傾いたままのカメラに覗き込む、斜めの世界。
世界の複雑性を飛び越えて、愛が、世界の真実にたどり着けてしまう物語の甘いささやき。
虚構にでっちあげられた陰謀論的世界観が、世界の全貌を知り得ない我々、盲目の囚人につかの間の夢と救いを与える。
第1作より9年後の真実。「告白」と題された凡人の日記──つまりは取るに足らないフィロソフィー、あるいはポルノグラフィーとは平凡の悦楽──なる駄作の正体は、実は世界を揺るがす国家機密の暴露だった……なんて妄言はさらに想像の斜め上へ。
まさかのスパイ映画として続編化されたヘンリー・フール・トリロジーの第2作。つまりはもう1作、都会の片隅から世界の裏側を覗く小噺は続く。
☆3.7
生涯を語りうる50本の映画作品の記憶。
及び、親愛なる50人の映画作家の記録。