ゲームの規則、恋のルール。愛の掟、人の道──。
正直者が馬鹿を見る、世の無情。
ブルジョワの群像。憐れな幻想。
滅びゆく秩序。狂騒、ほとんど躁。
人生は喜劇だ!とは、真っ赤な嘘。
大戦前夜を知ってか知らずか、迫り来る暗黒を目前に。揺らめく風前の灯火に集いし、パーティーは続く──音楽と奇声と銃声とがリズミカルに絡み合う舞台で、喜劇を演じるこれは悲劇か。皮肉な滑稽か。
“楽しい悲劇”の出番を終えた背中を染める陰は、哀愁だったろうか。
☆3.1
無垢の残酷、愛の残酷。
少年の曇りなき純粋、すなわち狂気にも似た愛の証明にもたらされる悲劇。
まるで悪夢、それは誰の目にも明らかな、考えうる限り残酷な結末に違いなかったとしても──。
覚めない夢の中で真実など無意味。
まぶたを閉じれば闇の向こうに、優しいママともう一人の僕と、永遠に変わらない日々の思い出がつづいているのだから。
無用な現実を語るその口を塞ぎ、目を瞑らせて、いつも歌ってくれた大好きな子守唄を聞かせてあげればそれでいい。
☆3.6
「最良の者が信念を失い、最悪の者が活気づく」とは詩人イェーツが綴り、今は無きボトムラインのステージにてルー・リードが引用した言葉。
雨の街角に男と女と愛の言葉が行き交う夜。音楽は鳴り続け、踊り続ければ愛し合うロマンティックの住人たちの物語で街は溢れ──"Soul"で満たされていたのも今は昔のまるでフィクション。
それは愛かたんなる思い込みか、あるいは思い込みこそ愛の正体に冷めてしまったか。または愛情と友情と、同情すらも区別がつかずに熱病に浮かされ溶けてしまうか、21世紀はニューヨークの異常気象。
野蛮な愛と幻影だけが遺された街で。無難、凡庸、退屈、そして無関心といったまるで場違いなはずの言葉が、恐怖が、その街の子供の心に巣くう。
こんな時代に、純真と、もしくは世間知らずと笑われる子供たち。
ロマンティックの恋人たち。
それでも言葉を紡ぐこと、自ら演じ続けることの他には生きる術を持たない、愛に毒された子供たち。
より刺激的に、よりミステリアスに。作為的にして無作為、悲劇的にして喜劇的な人生と冠する物語をしたため、夢見がちな愛の戯曲を歌う詩人。その卵たち。
愛がいつも遅れてやって来るのは、愛が秘密に隠されているから。わざわざ秘密に愛をこしらえるのは、なんてことない彼らの作家性。つまり若さ、ゆえの才能。それは、あなたとの未来がいつまでも続くことへの願いに他ならない。
物語はつづく。
愛が言葉を見つける日まで。
現実が夢を追い越すその日まで。
☆3.8
トム・クルーズのスタントが人間離れしていくのと反比例するかのように、齢を重ね、イーサン・ハントというキャラクターは人間味を増していく。
(『ゴースト・プロトコル』以降)チームあっての“スパイ大作戦”という原点に立ち返ってからというもの、傑作続きのシリーズにあって、黄金期は尚も継続中。前人未到を更新する狂気じみたスタントもさることながら、シリーズ史上最もエモい今作については、全6作を貫く集大成としての人間ドラマを見立てることも可能である。
信頼それは友情、自由、贖罪それは愛というような湿っぽい情感が前面に。荒唐無稽なストーリーラインを十分に補って余りある、「数億の命よりも一人の友の命」を救おうとするヒーローの葛藤をありありと、センシティブに物語る一編である。
イーサン・ハントという有り様、それは、トム・クルーズという生き様を伴ってフォーカスされる怪作。その怪物的な、稀代の映画スターの存在感を存分に語りうる万感の2時間半、そして拍手喝采のエンディングテーマへ。
どのジェームズ・ボンドよりも、あるいはどんなアメコミヒーローよりも、またジャッキー・チェンをもついに超えた存在として、『M:I-2』を映画原体験に持つ少年の心に一番星は輝き続ける夜なのであった。
☆4.3